第二章 ブライアン・エプスタインの幻影

 

札幌の街に移り住んだ僕は、北大から近い辺りにアパートを借り、似合わないスーツを着込んでヤマハのピアノを売った。営業を何年か経験した後、工場でギターのデザインでも手掛けてみたいと、まるで単純な発想から入社したのだが、或る日企業イメージのレポートを求められた時、新人の分際で痛烈な批判文を書いてしまったことが上司の怒りを呼び、翌日のミーティングから外され、その翌日には事実上の解雇となってしまった。もともとが家を出る口実に過ぎなかった訳だし、魅力を感じる仕事ではなかったこともあり、全くと言って良いほどダメージは受けなかったが、喰うための仕事はすぐにでも探さなければならなかった。

 

市電を降りて歩いていると、場末の古びたスナックの、これまた朽ちそうなほど傷んだドアに1枚の貼り紙を見つけた。『求む!弾き語りのできる方!!』濃いめの化粧のママと面接を済ませ、早速その日の夕方から歌うことになった僕は、酔っ払いのオヤジたちを前に、当時のヒットソングを歌いながらバーテンも兼ねた。案外と水商売の世界が楽しく思えて、夜間通っていた美術学校へも顔を出さなくなると、心配した同級生が店を訪ねて来たりもしたが、やがてその学校も辞めてしまった。

 

そんな折、旧い友人が様子を見にやって来た。帯広駅前の小さなレコード店「サウンドコーナー」の店主、知魅(ともみ)さんだった。高校生の頃、地元のラジオ番組でオンエアされた僕の歌を聴いて訪ねて来た彼は太い声でこう言ったのだ。『マネージャーをやらせてくれないか?』小柄な体つきではあったが、不精髭を伸ばしサングラスをかけて、長い丈のアーミージャケットをラフに着こなして街を歩く姿は、面識は無いまでもかなり目立っていたので以前からよく知っていたし、こちらも一目置いていた男なのである。

 

そんな彼と付き合い始めた当初は、酒好きで酔うと暴れ出す習癖が困りものだったが、寂しがり屋で音楽をこよなく愛していた彼は、自分で演奏したり歌ったり出来ない歯がゆさからか僕に夢を託していたようだった。酔っ払うと必ず言っていたのが『俺はブライアンエプスタインになりたいんだ!』言わずと知れた、リバプールの片田舎からビートルズを世に送り出した敏腕マネージャーのことである。彼もまた同じように、地元のレコード店主だったからだろう。僕より56歳年上だった知魅さんは、いつも子供みたいに夢を語り、ROCKの神髄やその歌に於ける言葉の在り方など、彼独特の論法で熱っぽく語ってくれたものだ。ほとんど毎日、学校帰りに店に入り浸って、彼と一緒にレコードを聴いた時間が「あの町」では一番の思い出だった。

 

『こんな所で歌ってんじゃない、お前の居場所じゃないだろ?帰って来い!』

 

相変わらず太く、半ば脅しともとれるような低い声でそう言われた。店の子がタンバリンを叩きながら短いスカ-トの腰をくねらす傍らで、酔客相手に流行歌を歌っている僕の姿に見兼ねたのだろう。その夜、お客からのリクエストと云う形で、それまでママから禁止されていた自分の歌やロックナンバーを夜が更けるまで彼の前で歌い続けた。客は知魅さんだけ。周囲の呆れた顔をしり目に、僕らはイッちまってたわけだ。

 

それから間もなく店を辞め、アパートを引き払った僕は、4月に出て来たばかりの町へと戻って行ったのだ。1971年、6月のことである。

 

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