第四章 fanfanにて

 

僕がアイヌ語読みのオンモ(ommo)と呼んでいたトモミさんは「知魅」と書く。彼曰く、先妻との間に出来た子だったらしく母親のことも全く知らないと言う。確かに端正な顔立ちの父や弟とは全く異質のごついマスクをしていたし、その生い立ちからなのか僕以上に愛には飢えていたような気がする。後年娘が誕生したときに「窓歌」と名付けたことを嬉しそうに知らせて来た。地元の牧場主の美人の娘を射止め、幸せな結婚生活を送っていた筈だが、その後何が起こったのか、店を弟に任せ家を出たきり消息が掴めない。

 

そんな彼が経営していた駅前のサウンドコーナーから東へ5分ほど歩いた所にfanfanと云う喫茶店が在った。昼間は女子高生の溜まり場みたいな雰囲気もあったが、安心して?煙草を吸える場所のひとつだったことから、高校時代によく彼女を連れて来ていた店だ。雇われマスターのコウちゃんは、文学少女の姉と同級生だったことを誇りにしていたらしく、ひょんなことから僕が弟だと知ってからは妙に可愛がってくれていた。愛車のスカGを乗り回していた彼は、細い眼鏡に口ひげ、派手なネクタイと、見た目は恐ろしくキザだったが物静かな好青年だった。

 

その店は、もともと夜は酒を出していたので常連客はそこそこ居たようだが、久し振りに顔を出してみると、何やら賑やかで楽し気な会議の真っ最中。わけを聞いてみると、店を改装して奥にステージを設け、今で言うライブスポットにする計画らしい。

コウちゃんが声をかけてきた。『専属のミュージシャンも居ないし、ギャラ弾むから1ヶ月だけここで歌ってくれないか?』

 

仕事を探していたこともあり、二つ返事で引き受けた。

数日後、店のイメージ作りに二人で札幌まで出向き何軒かを見てまわるうちに、偶然立ち寄った楽器屋で、中古だがピックアップ付のアコースティックを買い与えてくれた。聞けば支度金だと言う。ギャラから引いておくとも言われたが、当時まともなギターを持っていなかったので、そのときの彼は神様のように思えたものだ。

 

そして間もなく「僕の」舞台は出来上がった。50席ほどの店内はいつも盛況だった。ほとんどが常連客だったがコウちゃんの人脈によるものなのか、町中の知識人が集合したかのように、あちこちでレベルの高い?議論を展開していた。

みんなイイ連中ばかりで、酒の飲み方も上品だった。(実は悪酔いした客は、コウちゃんにつまみ出されていたらしい)

 

一晩3ステージくらいだったろうか、演奏を始めると一応は静かになる。ところが中には、飽きてしまうのか途中で騒ぎ出す者も居る。そんなとき僕は決まって不機嫌になり、演奏を早めに切り上げてさっさとステージから降りてしまうようにしていた。呆れるくらいの我が儘放題だったが、周囲はそれを許してくれていたのが有り難かった。決して酒の席に似合う歌ではないことを僕自身が一番よく分かっていたぼだけれど、若く青いうちの人間は何事にでも突っ張っているものなのだ。

 

或る夜のこと、歌い終えてステージからカウンターへ戻ろうとしたところをお客に呼び止められた。旅行者だと言う二人は簡単に自己紹介した後、僕への関心を示した。

男『良かったよ、全部オリジナル?』(ああ、そうだよ)

女『昔の賢司に似てるみたい』(賢司?遠藤賢司にかい?嬉しいな)

男『うん、雰囲気とか言葉とか』(影響はあるかもね、好きなタイプだし)

女『ずっとここで歌ってるの?』(いや、アルバイトで今だけ。もうじき辞めるよ)

男『東京へ来ればいいのに。今が一番面白いときだよ』(面白い?)

男『今まで陽が当たらなかった部分が注目されてるんだ。大手のレコード会社もプライベートレーベルを作ってアーティストを発掘してるくらいだし、売れる売れないは二の次で、質の良い音楽を作り出そうとしてるからね』(へえ〜、そうなんだ)

女『彼なら注目されるんじゃないかな、ね?』

男『そうだね。君みたいなタイプは珍しいし、東京にだって大した連中は居ないからね。』(みんなはどんな音出してるの?)

男『ブルースバンドが多いね、詩も英語ばかり。あと軟弱なフォークっぽいやつ』(やっぱりね)

女『東京おいでよ。みんなびっくりするよ、きっと!』

男『君のようなスタイル少ないから、いいと思うな』(ここを出て、秋には行こうと思ってはいるんだけど・・)

男『連絡してよ、待ってるから』(ああ、約束しよう。必ず行くよ)

 

偶然、店で出くわした小柄な女性を伴ったこの男は(後で知ったことだが)東大法学部に通う学生だった。自身もバンドを組んでいたことから、この夜は音楽談義に花が咲いて、思い出せないくらい沢山のことを語り合った気がする。

 

彼の住所と電話番号を書いたメモを、大事そうにギターケースにしまい込むと、会話のいくつかを思い出しながら、僕は東京に想いを馳せていた。

 

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