第一章 決別の詩

 

見上げるまでもなく、顔をちょっと上げただけで目の前には大きな空が広がっていた。それくらい、十勝平野の広大な土地の真ん中には大きな大きな空が在ったのだ。街角の信号機さえ、遥か地平線の彼方へと続く真っ直ぐな道のために存在するかのように、青空の中に不自然な姿でそびえ立っていたほどだ。

 

僕が育った小さな町はどこまで行っても平坦で、きれいに区画され碁盤の目状になった道路は、それだけで毎日を退屈なものにさせていた。起伏に富んだ丘だとか、折れ曲がった路地とかが無いことで、生活そのものが直線的になっていたのだろう。周囲を見回しても、感情を露にする人間は少なかったようだし、身を隠す場所も無いほど、四方八方から丸見えの状態では、どんな時でも人当たりの良い笑顔を振りまいているしかなかったのかも知れない。だから昼間の親父は愛想が良かった。

 

公務員だった親父の帰宅は早く、夕暮れ時になると自転車のペダルをきしませながら、一本道を一直線に帰って来た。いつも不機嫌そうな顔のまま無言で食卓に座ると時折思い出したように、文句とも愚痴ともつかないことを呟き始めるのだったが

気性の激しい彼を恐れ警戒しながら、家族がみな無言のまま食卓を囲む姿は重苦しく、幼児期を過ぎ物心ついてからの僕は、この窮屈な食事の時間が苦痛でたまらないものになっていた。笑うことも、口を開くことも、食事中の彼の前では許されなかった訳であり、不満を口にしようものなら逆鱗に触れ、間違い無く殴られていたからだ。厳しいと云うよりも、殿様を奉るような封建的な家庭には自分の居場所が無いことに気付くまでそんなに時間はかからなかった。16になる頃には家を出る決心と、何もかも見透かされているようなこの忌まわしい町を、故郷としての記憶から消し去ることを心に決めていた。そんな矢先、事件は起きた。

 

TVニュースが映し出す、東大安田講堂での機動隊と学生たちとの攻防を観ながら

親父がTVに向かって罵声を浴びせたことから、二人は口論となった挙げ句もみ合い

腕力の強い親父に両腕を掴まれながら叫ぶように怒鳴られた。『貴様を殺して俺も死ぬ!』・・背筋が凍った。無理もない、彼は国家の治安を守る職業であり国粋主義の塊だった人間なのだから。

 ノンポリの僕が集会やデモに参加することは無かったが、活動家たちとは友達だった。皆いい奴らばかりで、酒を交わしながら朝まで語り明かすことも幾度かあった。そんな彼らが巨大な壁に立ち向かい、歯向かい敗北しても決して背中を見せず

やがて挫折感に見舞われ逃避して行く過程を何人も見てきたことと、その闘争の象徴でもあった安田砦が陥落して行く様は、悲しく理由もなく泣けた。彼らは、片田舎に住む高校生にとって時代のヒーローだったのだ。

 

事件の翌日、僕は家を出てそのまま旭川の兄貴の元へと向かった。母親が迎えに来るまでの1ヶ月あまりをそこで過ごしていたことで、出席日数不足から留年も覚悟していたが、学校側の配慮で何とか免れることができた。けれどこの頃から、僕の歌は内面への攻撃性を強めて行った気がする。

 

高校3年の冬、この町での最初で最後のライブを企画した。ド田舎だけあり知名度?はあったせいか、100人くらいが集まったその夜、大学生のサポートバンドをバックに僕は十数曲ほど歌った。故郷を捨てて旅立つことを、皆んなの前で宣言したかったのだ。

 

 

昔 ブルドーザーが走り

肥溜めの上に道路が出来たと言う

嘘で固めた空が似合う

アスファルトの道を戦車が走ると言う

 

騙されちゃダメだよ小奇麗な靴の裏側を

アンタは見たことあるのかい

ガラスの破片と拳銃の弾が

突き刺ったまま僕らは行くんだ

生身の体で鋼鉄の軍隊と戦う様を節穴から覗いてごらん

 

「節穴から覗いてごら」1970.10

 

 

親父への憎しみと、物言わぬ家族との決別の歌である。生涯家庭など持つものかと、心に決めたのもこの頃だったし、歌うこと以外に言葉を発することが無くなったのも、この時からだった。そして、愛することも愛されることも拒絶したかのように笑顔さえ封印して、僕は町を出て行ったのだ。

 

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