第六章 輸送船団(海からの帰還兵)

 

旅立つ朝は始発列車、目的地までは船。いつの頃からかそう決め込んでいた僕は、そのシナリオ通りに駅へと向かった。

 

人気の無いホ-ムに、早朝にも関わらずコウちゃんが見送りに来てくれていた。他の連中はまだ寝てるであろうこんな時間に、まったくもって律儀な人である。不思議なことにその日の光景は、朝の光が眩しい青空と、蒸気を吐き出す機関車と、そしていつもの眼鏡を掛けてキザな口髭を生やした彼の姿しか思い出せない。駅にも列車内にも、人影を見た記憶がまったく無いのだ。思い描いたままの(憧れの状況)だったからだろうか、記憶の上では他の乗客も無く空っぽの列車は、ポ-と云う音を発してゆっくりと走り始めた。窓の外に広がる田園風景にも、何故か人影らしきものを見かけなかった気がする。

 

札幌で列車を乗り換え、午後には小樽港に着いた。ここから夕方のフェリ-に乗って舞鶴港へと向かう計画だ。時間をもてあそびながら、磯臭い倉庫群を目的もなく歩いた。北国とは云え、降り注ぐ紫外線は十分に夏を感じさせるものであり、ギタ-ケ-スを抱えた僕はやや汗ばんでいた。水平線が見える場所に腰を下ろしてハイライトに火を点け、外国航路の船影が小さくなって行くのをじっと見つめていたのだけれど、実はここでの記憶の中にも人影が無い。漁港にありがちな生臭さと湿った風、晴れ上がった空に静かな海・・それだけなのだ。

 

夕方の4時を回った頃、ゲ-トが開いて乗船が始まった。一番安い船室は船底に近い畳を敷き詰めた大部屋で、仕切りも無く伽藍とした空間の壁際に僕は荷物と体を置いた。喫水線の下であり、当然のことながら窓は無い。けれど大きな船で安定しているせいなのか、いつの間に出航したのか気付かなかったほどだ。ただしエンジンが出力を上げると、振動が床を伝って容赦なく体に響いて来る劣悪な環境と息苦しさに、寝るとき以外は荷物を全部持ってデッキに上がることを余儀なくされていた。今ならもっと速いのかもしれないが、当時のこのル-トは船中泊2日だったので体力的に相当疲れるものであり、好き好んで乗り込んで来る人間は少なかったのだとしても、不思議なことにここでも船内に乗客を見かけた記憶が全く無い。さしずめ僕は、たった一人の密出国者か避難民のような姿だったことだろう。

 

翌日の朝、クル-の姿すら見かけないデッキに上がるとその海の色に眼を見張った。日本海の群青の海が、白いさざ波と共に目の前に広がっていたのである。美しいと思った。今までの海の概念を変えかねない、素晴らしい色合いだったそれは、海底に刻まれた深い海溝のためであろう『紺碧の海』と云うものを、僕は初めて見たのだから。

 

どれくらい深いものなのか想像もつかないが、音も無く光も届かない世界で生きる魚たちは、母の胎内に宿した頃の自分の姿と同じだろうなどと、とりとめもないことに想いを巡らせていた。この深い海底こそ、人類の、いや僕自身の故郷なのであり、それまでの18年間の記憶を消し去るための、旅の始まりだったのかも知れない。かずら少年を海の底に葬るための筋書きが用意されていたのだとしたなら、これは運命と言わざるを得ないなあ・・などと想い馳せているうちに、僕はうとうとしたのか浅い夢の中へ堕ちて行った。

 

函館を出て三日後の午後に舞鶴港に着いた。海へと回帰した僕は魂の抜けた肉体で、ふたたび地上に降り立って、背中に焼け付くような陽射しを浴びながら、熱いアスファルトの上を歩いていた。振り返ると、帰還兵を満載した輸送船団が沖の向こうに見えた気がした。

 

「母さんただいま!僕は今帰って来ました!」

 

帰る家など既に無い少年が見た幻影は、陽炎の如く揺らめきながら八月の海辺を彷徨っていたのだろうか。蝉の声だけが・・喧しいほどに聞こえていた。

 

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